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庵野秀明

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
庵野あんの 秀明ひであき
庵野(あんの) 秀明(ひであき)
本名 庵野 秀明
別名義
  • あんの ひであき
  • アンノ ヒデアキ
  • 空母そ・そ・そ・そ
生年月日 (1960-05-22) 1960年5月22日(64歳)
出生地 日本の旗 日本山口県宇部市
国籍 日本の旗 日本
血液型 A型
職業
ジャンル
配偶者 安野モヨコ
著名な家族 小島功義叔父
公式サイト 庵野秀明公式web
主な作品
テレビアニメ
アニメーション映画
実写映画
OVA
OV

PV
 
受賞
東京国際映画祭
  • 最優秀芸術貢献賞
  • 2000年『式日』
日本アカデミー賞
  • 最優秀監督賞
  • 2017年『シン・ゴジラ』
  • 最優秀編集賞
  • 2017年『シン・ゴジラ』
  • 最優秀アニメーション作品賞
  • 2022年『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
その他の賞
日本SF大賞
1997年『新世紀エヴァンゲリオン』
特別賞
2016年『シン・ゴジラ』
毎日映画コンクール
日本映画大賞
2017年『シン・ゴジラ』
ヨコハマ映画祭
新人監督賞
1999年『ラブ&ポップ』
特別大賞
2017年『シン・ゴジラ』
日本映画批評家大賞
アニメーション監督賞
2013年『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
2022年『シン・エヴァンゲリオン劇場版』
キネマ旬報ベスト・テン
脚本賞
2017年『シン・ゴジラ』
文化庁メディア芸術祭
エンターテインメント部門大賞
2017年『シン・ゴジラ』
アニメーション部門優秀賞
1997年『新世紀エヴァンゲリオン』
2013年『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』
芸術選奨文部科学大臣賞
2017年『シン・ゴジラ』
紫綬褒章
2022年
受賞歴参照
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庵野 秀明あんの ひであき1960年昭和35年〉5月22日 - )は、日本アニメ監督アニメーター脚本家映画監督声優実業家カラー代表取締役社長株式会社プロジェクトスタジオQ創作管理統括。株式会社でほぎゃらりー取締役。NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構理事長。山口県宇部市出身。山口県立宇部高等学校卒業。大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)除籍。血液型はA型。妻は漫画家安野モヨコ

別名義として、アニメーションを手がける際のあんの ひであきアンノ ヒデアキ作詞家としての空母そ・そ・そ・そ樋口真嗣との作詞コンビHIDE&シンディー♡などがある。

代表作に『トップをねらえ!』、『ふしぎの海のナディア』、第18回日本SF大賞受賞作の『新世紀エヴァンゲリオン』、ゴジラシリーズ第29作で第40回日本アカデミー賞などの数々の賞を受賞した『シン・ゴジラ』などがある。監督作が日本アカデミー賞の最優秀作品賞最優秀アニメーション作品賞の両方を受賞した宮崎駿山崎貴に続く史上三人目の映画監督である。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

幼いころよりアニメ特撮、そして大規模建造物などの絵を夢中で描いていたという。生まれ育った山口県宇部市はセメント工業などが盛んな街であり、その工場群の原風景人工物、メカニックを好む感性に影響を与えたという[1]。高校の時代には「工場のある赤い風景」のような作品を描いている[1]。また、漫画少年でもあり、中学生のころは特に少女漫画を大量に読んでいた[2]。庵野の父親は若いころの事故で左足の膝から下を失っており義足であった。朝日新聞「おやじの背中」(1999年8月30日)で、父親のその姿に影響を受けていること、完全なものは好きになれない、自分にとっては何かが壊れ、欠けていることが普通であると語っている。

山口県立宇部高等学校での高校生時代には、美術部で部長を務めるほどの画力を有していた。アマチュア映像制作グループ「グループSHADO」にも所属し、自主制作の映像作品『ナカムライダー』が、文化祭で上映された。

大学生時代[編集]

高校卒業後は就職せず、遊んでばかりいたために親に心配され、一浪を経て、当時、入試が実技のみであった大阪芸術大学映像計画学科に進学する。受験対策は宮崎駿らの絵コンテなどを見て勉強したという[3]

同じ学科の同級生には南雅彦西森明良などの同業者、広告デザイナーの碇義彦や漫画家の島本和彦および士郎正宗なども在籍していた。士郎とは学生時代の面識・交流の有無は不明だが、後に『アップルシード』『蒼きウル(未発表)』にて互いにスタッフとして参加している。

サークルはSF研究会に所属。入学当初、同級生の山賀博之赤井孝美らと班を作る。なお、このころの庵野について、画力は「特にメカの描写は圧倒的であった」と後に山賀が語っており、学生生活の様子は島本和彦の漫画作品『アオイホノオ』に詳しく描かれている。

そのころ、2回生に誘われた自主制作アニメに熱中し、山賀たちとの自主製作映画グループである「DAICON FILM」の主要メンバーとして参加した、大阪で開催のSF大会では異例であったオープニングアニメーションや、特撮作品などを製作し、プロをも驚かせ高い評価を受けた。この時、スタジオぬえのメンバーに誘われ山賀たちと『超時空要塞マクロス』の制作に参加し、アマチュアのアルバイトであるが、数話分の動画から原画までを担当した。この時に描いた爆発シーンが各所で評価され、仕事が来るようになったという[4]。また、『アニメージュ』に掲載された、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』の人手不足のための作画スタッフの募集告知を見て上京し、原画担当として採用される[4]

学校生活では、共同実習にしか出席せず、学費も未納状態であったため、3回生時に除籍処分を受けるが、通学しなくなったのは、単位さえ取れればそれでいいという、周囲のやる気のない学生に付き合って在籍し続けるよりも、自分の作品を作り続ける方が意義があるとの考えからとのことである。なお、この時にはすでに『風の谷のナウシカ』への参加に伴う上京が決まっていた。また、漫画家を目指そうとした時期もあったが、漫画の才能は無いとの考えから断念している[5]

アニメーター時代[編集]

上京し、アニメーターの板野一郎を紹介される。板野が描いた『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』の原画を見て「本当にすごくて、こんな原画が世の中にはあるんだ」と感動した。そしてプロ入りし、板野の間近で『超時空要塞マクロス』の原画修正をいきなり任される[4]。劇場版の『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』にも参加している。

その後劇場アニメ『風の谷のナウシカ』やOVAメガゾーン23』などの商業作品に参加し、メカや爆発シーンなどのエフェクトアニメーションを手がける。『風の谷のナウシカ』では、採用時に持参した大量の原画が宮崎駿に評価され、難しいとされるクライマックスの巨神兵登場のシーン担当に抜擢された。この時、人物も描くよう監督から指示されるも、出来が悪かったため監督本人に頼んだというエピソードがある[6]。このころから原画・動画一筋でやっていくのは無理だと考え、監督・演出の仕事をメインに切り替える。ちなみに、パンフレットに記載されている「巨神兵の呪いを受けて腹を壊したA氏」は庵野のことである。宮崎からは特に監督としての仕事の進め方などを学んだという[7]。また、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季らも含め、アニメーション界を代表する作家の仕事に参加できたことをとてもラッキーだったと語っている。

その後、DAICON FILMを母体とするガイナックスの初作品『王立宇宙軍 オネアミスの翼』には「スペシャルエフェクトアーティスト」という肩書きで参加。やたら長い肩書の理由は「SFX」や「アーティスト」という呼称が嫌いだったため世間への嫌がらせとして命名したものである[8]。クライマックスシーンでは、戦闘・ロケット発射シーンは絵コンテから作画までほとんどを1人でこなした。セルを1コマに9枚重ね、3秒間でセル枚数が250枚にも上るカットもあるという。当時、戦車やミサイルなどに極限のリアリティを追求しており、軍事関係の資料に手当たり次第に目を通し、自衛隊にも体験入隊している。

『トップをねらえ!』『ふしぎの海のナディア』[編集]

監督作品である『トップをねらえ!』および『ふしぎの海のナディア』は、前者はOVAで発売され、後者はNHK総合テレビジョンで放送された。

  • 両作品ともアニメや特撮のパロディ・オマージュを多く取り入れており、特に爆発やエフェクトパターンは実写を忠実に再現している[9]
  • 『トップをねらえ!』第5話戦闘シーンの収録の際、主演の日髙のり子に「自ら必殺技名を絶叫してみせる」という体当たりの演技指導を行ったという逸話がある[10]
  • ナディアのグランディス一味が「タイムボカンシリーズ」における三悪の変形版になったのは自身のアイディアだという。また、ハンソンの口癖「そ、そ、そ、そ」は庵野の口癖である[注釈 1]
  • 主人公ナディアの性格は当時の性格の反映で、ナディアが冷たかったりわがままに描かれているのは、恋して振られた時の、自身の女性観を元にしたためとのことである。他にも「南の島編」での暴走ぶりも「周りから見た庵野監督」をモチーフにしていた。また、下記に記載している「偏食家であり、と魚は一切食べられない」というのもナディアの特徴であり、庵野がモチーフである[要出典]
  • キングについては当初は「実は宇宙人」との設定が構想にあり、最終回ではキングの着ぐるみを脱いで正体を現す予定だったが、周囲の反対でこの構想はなくなった[11]

『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ[編集]

1995年平成7年)にテレビ東京の18時のアニメ枠で放送開始され、1997年(平成9年)以降は劇場版として制作されている。大ヒットを記録し[12]、「庵野監督の代表作」として真っ先に名前が挙がる作品であり、数々の受賞歴がある。

テレビシリーズ後半、特に最終回2話とその前の展開について、パソコン通信上で激しい議論が繰り広げられ、批判意見も多くあった、さらには「原画マンと喧嘩した」や、「途中までは考えていたが、最後は全く考えていない」など嘘が瞬く間に広がり、脚本なる物が出回る大惨事にまで発展した。この現象については、議論内容よりも「パソコン通信にハマる人たちは『現実世界に帰れ』」と苦言を呈している[13]。また、テレビ放映後から劇場版公開ごろの『エヴァブーム』当時、インターネット上のチャット電子掲示板上での作品論争を「便所落書き」と言い放っている[14]

実写映画への進出[編集]

『新世紀エヴァンゲリオン』制作終了後、実写方面への進出(『ラブ&ポップ』『式日』『キューティーハニー』)を経て、それ以降のアニメ作品では、いわゆる「実写畑の声優・つまり俳優」を起用することが多くなる。これは「職業声優の限界」を感じ、新しい可能性を模索するためだという。幾原邦彦の紹介で舞台にも非常に惹かれているが、まだ取り組めないので映画を作ることにした、とインタビューに答えている[15]

結婚[編集]

2002年(平成14年)3月26日に、共通の知人である貞本義行による紹介が縁で知り合った漫画家の安野モヨコ結婚4月28日に「ダブルアンノの結婚を祝う会」と称した結婚披露宴パーティーが行われ、新郎側の主賓として宮崎駿、新婦側の主賓として桜沢エリカがそれぞれスピーチを行った。庵野自身は安野の『ハッピーマニア』などを読んでおり高く評価していた。安野モヨコは本名非公開ではあるが、ペンネームの読みは「あんの」であるため「Wアンノ」と話題になった。

安野の漫画作品『監督不行届』で結婚生活が描写されている。作中での呼び名は「カントク(庵野)」「ロンパース、モヨ(安野)」。また、結婚を機に安野の食事管理によって、体脂肪率40%越えから180cm73kg体脂肪率22%までの減量に成功した。身の回りにも無頓着で、充分な収入がありながら風呂の壊れたアパートに住んでいたため、結婚前は1年間風呂に入らなかったり、洗濯もせずに服はボロボロになるまで着用し、汚れたら捨てる、という生活だったが、安野との生活で、4・5日おきに着替え、1日おきに入浴するようになった。作中では庵野がアルマーニを試着する様子も紹介されている。

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズへ[編集]

2014年10月30日TOHOシネマズ日本橋での「庵野秀明の世界」にて明治大学大学院国際日本学研究科客員教授氷川竜介(右)と

2006年平成18年)に、アニメ制作会社「株式会社カラー」を設立し、それまで名を連ねていたガイナックスの取締役から退いている。新スタジオでの第一作目は、2007年(平成19年)9月1日に全国主要映画館にて封切りされた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』四部作の1つ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』であった。2009年(平成21年)6月27日には『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』、2012年(平成24年)11月17日に『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』、2021年(令和3年)3月8日に完結編の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が封切りされ、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズは完結した。

2011年(平成23年)に平野勝之監督の『監督失格』を実写初プロデュース作品として手掛けた。2013年(平成25年)には、宮崎駿の長編アニメーション映画『風立ちぬ』の主人公・堀越二郎役で声優デビューした。

2014年(平成26年)に第27回東京国際映画祭の企画で「庵野秀明の世界」が開催。学生時代からの映像作品がTOHOシネマズ日本橋で上映、トークセッションも開催された[16]

2015年(平成27年)4月1日、2016年に公開予定の「ゴジラシリーズ」新作で、脚本と総監督を務めることが発表された[17]。2015年秋から撮影を開始し、2016年7月29日に『シン・ゴジラ』のタイトルで公開された。

2017年(平成29年)5月8日、NPO法人『アニメ特撮アーカイブ機構』を設立し、代表を務める[18][19]

2021年(令和3年)、円谷プロならびに東映からそれぞれ庵野を脚本とする『シン・ウルトラマン』『シン・仮面ライダー』の製作が発表された。

日本SF作家クラブ会員だったが[20]、2023年4月現在は、会員名簿に名前がない。

作風[編集]

2014年10月30日TOHOシネマズ日本橋での「 .footer { position: fixed; left: 0; bottom: 0; width: 100%; background-color: white; color: black; text-align: center; }